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平成20年10月31日(金) 中日新聞『鈴鹿亀山版』 トップページにもどる |
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| (2001年度 6年HPより) |
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| 桜島について調べたよ 僕達の町「桜島」 |
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僕達の町は「桜島」という名前です。鹿児島の桜島とはちがいます。三重県にあります。ぼくらの町はどうして桜島なのかと不思議に思ったので,調べてみることにしました。
今「桜島」にある石碑に,漢字400文字にて桜島の歴史がきざみこまれていました(その石碑は,昔できたものです)。この石碑には,こう書きこまれていました。 「以前より数戸の農家が田畑を耕していました。雨が十日も降らなかったので田は,亀列を生じ,水利が大変困難でした。田畑が荒れ果てようとしている時に,津藩北群司農(津藩という所があってそこの殿様の下の位に当たる人)吉田じゅんれいさんが,その時の勘定奉行に池を広く深く水利を良くして里を救いたいという願い出をしました。許しを得て,その時の村長,伊藤ろく寿さんに命じ,古くからあった池を,約5倍の広さにしました。池の土を掘って,その掘り出した土を真ん中に高く積み上げて2つの島を作りました。そして池を完成させました。そのど真ん中にそびえ立つ島には、山桜を200本も植えました。その島は,「桜島」という名前がつきました。(現在も山桜200本位はのこっています。丘も残っています。)池の完成により水利は良くなり,この地に住むことを希望する人も増えました。そして,この町を吉澤の里と名付けました。」 このようにしてできた「桜島」は,次第に戸数も増えて生活も豊かになりました。 でも豊かなことばかりではなかったのです。この「桜島」に,池ができてまもないころ,その池で遊んでいた子どもが池でおぼれて亡くなったという暗い事件もありました。けれど,今の桜島の人は,みんな元気だし,みんないい人たちばかりたちです。
時はたって,村人達は,恩人(吉田重れいさん)の遺徳に報いるため、吉田神社を作りました。
こんなことが,いろいろあって,ぼくらの町は,「桜島」になったそうです。でも,そんなんやったら桜島町じゃあなくても,吉澤町とかでもいいんとちがうかなあと思ったけど,その桜島って決めたんだから,僕はいいと思います。
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