解説稲生町の南,比高3〜4mの台地上に位置し,現在は水田の中に雑木が繁茂した状況となっています。南西部に土塁の一部と考えられる高まりが残っており,東西90m×南北150m程の規模が考えられます。稲生氏の居城として築かれましたが,1583年の豊臣秀吉の侵攻によって落城したといわれています。