ロシア文字によるイロハと数字
   軸装 紙本 墨書 
光太夫72歳のときのもの寄贈資料

今回は、光太夫が書いたロシア文字の墨書をご紹介します。

光太夫は、墨と筆でロシアの文字を書きのこしています。ロシア文字が珍しかった当時の人々に頼まれて書いたものだと思われますが、全国に30点あまりが散らばって確認されています。ところが、それらを調査したところ、そのうち約20点は、もともと白子・若松周辺の旧家に旧蔵されていたことが判明しました。現存する墨書の多くが、光太夫が暮らしていた江戸から遠く離れた故郷に残されていたことになるのです。さらに、光太夫は52歳のときに一時故郷に帰ってきますが、これら墨書は、60代以降に作成されたものばかりで、その時に郷土に残されたものではありません。つまり、光太夫が江戸から故郷へ書き送ったと考えるのが自然であり、光太夫が故郷の人々と最晩年まで繋がりを保ち続けていたと思われます。実は、この光太夫の墨書は、よくわかっていない江戸の光太夫と故郷・鈴鹿の人々との交流を暗示するものなのです。

鈴鹿市では光太夫の墨書を4点所蔵し、3点の寄託を受けています。

「メイゲツヤ タタミノウエニ マツノカゲ」
   軸装 紙本 墨書 
 宝井其角の俳句を光太夫がロシア文字で書いたもの