
150年前、日本とロシアは日露和親条約を結び、国交を樹立させました。しかし、日本とロシアが初めて公式に接触したのは、実はそれより60年程前のことでした。ラクスマンの来航と言われる事件がそれで、日本中が大きな衝撃をうけました。そして、その時、ラクスマンとともに日本へ帰ってきたのが、ロシアに漂流した大黒屋光太夫ら3名(内、小市は根室で死亡)だったのです。噂は日本中を駆け巡り、武士だけでなく庶民にも広まりました。もちろん、光太夫のふるさと・鈴鹿もその噂で騒然となります。
右の本をひも解いて、そのときの様子を覗いてみましょう。
「上へ下へと村中がその噂でもちきりだ。無事に帰ってきた3人の親族の喜びは言うまでもないが、ロシアに残った2人の妻子の憤りは骨身に達し、異国で亡くなった12人の遺族の嘆き悲しみも、生きて帰った者がいるのでなおさらに感じられるようだ。喜びと憤りと悲しみと妬みとで、村は今まで見た事もないような状態になってしまった。」
パニックに陥った村の様子が伝わってきます。この『漂流船実録』は、日本中に残る光太夫の漂流記の中でも地元の様子を伝えてくれる貴重なものです。
写真説明 『漂流船実録』(深田神社寄贈)/巻末には光太夫が書いた巻紙も貼り付けてある

